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竣工外部
〈本殿〉
屋根葺替:文政10年(1827)、
部分修理:明治35年(1902)
〈通殿〉
屋根葺替:昭和30年(1955)
部分修理:昭和30年(1955)
〈拝殿〉
屋根葺替:安永8年(1779)、天明2年(1782)、
文化10年(1813)、文政10年(1827)、天保4年(1833)、
明治35年(1902)、昭和30年(1955)
部分修理:天明2年(1782)、明治35年(1902)、
大正5年(1916)、昭和30年(1955)
平成9年2月〜平成11年10月
〈本殿:半解体修理〉
仮設は各建物上に一連の素屋根を建設し、境内から林道まで資材運搬の索道を設けた。
本殿は軸部を残して解体し調査の結果、建物の変遷が明らかになったので構えが最も充実した明治35年修理後の姿に復旧整備した。柱礎石は基盤岩(粗面岩)上に据えていたので安定していた。木部は腐朽部の補修、補足を行い組立てたが、残存する古材は再用に努め、非再用材は保存資料とした。屋根は本瓦形銅板葺、内外の塗装は在来に倣った。
〈通殿・拝殿:解体修理〉
通殿・拝殿は解体調査の結果、建物の変遷が明らかとなり、本殿を含めて構えが最も充実した明治35年修理後の姿に復旧整備した。通殿の基礎は基盤岩に座り安定していたが、拝殿は造成地盤上にあり沈下していたので布基礎コンクリート地業を行い、礎石を据えた。また、拝殿南・東面にコンクリートの擁壁を築いて地盤を補強した。木部は本殿に準じて施工した。
通殿は一文字銅板葺、拝殿は瓦棒銅板葺とし、建具や金具を補修取付けた。
〈本殿〉
一間社流造、正面軒唐破風付、正面通殿間庇、片流れ、
東側面唐破風造、銅板葺
〈通殿〉
桁行二間、梁間一間、一重、唐破風造、銅板葺
〈拝殿〉
桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、
軒唐破風付、銅板葺、東面神饌所附属
文化財建造物保存技術協会編
『重要文化財焼火神社本殿・通殿・拝殿保存修理工事報告書』
焼火神社、H11.10