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竣工外部
曳屋:大正4年(1915)
屋根葺替:享保20年(1735)
部分修理:天保12年(1841)
昭和57年1月〜昭和59年12月
〈半解体修理〉
解体の範囲は、柱上部の頭繋の梁を残し、床廻りは根太までとした。
解体調査の結果、腐朽箇所のほかに後世改変箇所が判明したが復原は行わなかった。礎石が大きく沈下した箇所は、揚屋により礎石の据え直しを行った。また、木部で腐朽した材の取替えや、再用材の継木・矧木等の繕いを行うとともに、大正移築時に増設された撞木状に取り付く後堂(未指定)は小屋組を低めて、本堂の大棟より低く納め、本瓦屋根から銅板屋根に改め整備した。
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺、
南面
(財)文化財建造物保存技術協会編
『重要文化財四天王寺五智光院修理工事報告書』
四天王寺、S60.3